徳田けんいち後援会

歴史・文芸
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レニングラード攻防戦 & カニバリズム


 われわが歴史を学ぶとき、研究者は別として、一般的には歴史という複雑に折り重なった事件や出来事の層の一番上の部分、酒でいえば上澄のような部分、濾過された透明な部分を学ぶようです。

 レニングラード攻防戦といえば、ドイツ軍に包囲されたレニングラードのソ連軍と市民が過酷な状況のなかで戦い抜き、最終的に勝利を収めたという誇らしいイメージばかりが強いのですが、当時のレニングラードの実状を見てみると、かならずしもそうとばかりはいえない現実が見えて来ます。

 中国などでも同様の事件があったようですが、当時のレニングラードでも、飢餓が蔓延するなかで、カニバリズム(人肉を食べる行為)が横行していました。

 レニングラード攻防戦は、第二次世界大戦中の1941年から1944年にかけて、ドイツ軍がソビエト連邦のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲し、ソ連軍と市民の抵抗と苦難が続いた戦いです。この戦いは長期化し、非常に過酷な条件の下で戦われました。

 レニングラード包囲戦は、ドイツ軍の包囲により市民に対する食料や物資の供給が遮断されたため、市民の生活は厳しいものでした。飢餓が広がり、人々は食料不足に苦しみました。特に1941年から1942年にかけての冬季には、市民の生活状況が極めて悪化しました。

 飢えに苦しむ市民は、極端な状況下でカニバリズム(人肉を食べる行為)を行うことが報告されました。包囲下の市民は死体や凍死した人々を食べざるを得ない状況に置かれ、生き残るためには過酷な選択を迫られました。これは戦争の非常に悲惨な側面であり、多くの家族が絶望的な状況に直面しました。

 当時のレニングラードでは、凍死した人や餓死した人を食べるばかりではなく、生きた人間を捕らえて殺して食べたという事件の記録も残されています。肉の柔らかさから、子どもがまず第一に、女性が第二に狙われたそうです。

 歴史を知るということは、悲しいことですが、このようなことを含めて、人間の本性、本質、全体性を知り、未来への戒めを知るということです。

 レニングラード攻防戦は長期にわたる包囲戦であり、1944年にようやくソ連軍がドイツ軍を追放して終結しました。しかし、この戦いは多くの犠牲者を出し、市民と軍人の両方が過酷な状況に直面しました。レニングラード攻防戦は、その悲劇的な人道的側面と市民の英雄的な抵抗精神によって記憶されています。

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