徳田けんいち後援会

歴史・文芸
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エルンスト・レーム & アドルフ・ヒトラー「長いナイフの夜」


 エルンスト・レーム(Ernst Röhm)は、ナチス党の初期メンバーであり、突撃隊(Sturmabteilung、通称:SA)の創設者の一人でもありました。突撃隊は、ナチス党の武装組織であり、ヒトラーの権力掌握初期において重要な役割を果たしました。

 エルンスト・レームは、アドルフ・ヒトラーに対し、唯一、「俺、お前」の間柄で話ができた人物だったそうです。

 しかし、このような関係が、後々ヒトラーにとって、目障りで、看過できないものになりました。

 1920年代初頭、ドイツでは政治的混乱が続き、ヴァイマル共和制政府は経済的・社会的な困難に直面していました。このような状況の中、ナチス党はアドルフ・ヒトラーを中心に台頭し、その影響力を拡大していきました。

 エルンスト・レームは、ヒトラーとともにナチス党を支え、突撃隊を結成しました。突撃隊は、党の集会や行進、政治的対立者への暴力的攻撃などを行い、ヒトラーの権力掌握に大きく貢献しました。特に、1923年のミュンヘン一揆では、突撃隊が重要な役割を果たしましたが、この事件は失敗に終わりました。

 しかし、ナチス党が政治的成功を収めた後も、突撃隊は党内で重要な存在でした。その結果、ナチス党が政権を握ると、突撃隊はドイツ国内で急速に拡大し、軍事組織としての役割も担いました。

 しかし、1934年にヒトラーは突撃隊の指導者であるレームを含む突撃隊幹部を処刑するという出来事が起こります。これは「長いナイフの夜」として知られ、突撃隊と国防軍(Wehrmacht)との対立が背景にありました。突撃隊はヒトラーの支配を脅かす存在とみなされ、ヒトラーは突撃隊の影響力を抑えるために容赦なくレームや他の幹部を処刑したのです。

 このとき攻撃を指揮したのがSS(シュッツシュタッフェル)のヒムラーでした。

 この事件により、突撃隊の権力は抑制され、ナチス党内での覇権を握ったSS(シュッツシュタッフェル)が優勢になりました。これによってヒトラーの個人的な権力が強化され、ナチス党内での対立はさらに一層拡大していくことになります。

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